ン夫人は、自身でこの事に当ることは好まなかったのである。如何に重複が多ければとて、如何にイタリックの多きがために体裁を損ずるが如く思わるればとて、夫が或る主義のためにかく為《な》したるものを、その妻としてこれを改めることは到底忍び難きことである。他日何人かこの書を出版することある場合に、この目障《めざわり》を除くことあっても、それは彼らの勝手である。彼らは自分が守らなければならぬような敬順の義務には束縛せられてはおらぬ“Future editors may, if they will, remove this eye−sore. They will not be bound by the deference which must govern me.”と言うておる。
 しかるにオースチンの友人、門弟らの説はぜひその遺稿を出版すべしとの事に一致し、且つその草稿が極めて複雑であり、断片的なるところもあり、不必要なる重複もあるから、その出版者は最も深く著者の名誉を重んじ、その遺稿に対し厚き敬虔《けいけん》の念を有し、刻苦精励これに当る人でなくては、到底この事業を完成することは出来ぬという事にも一致した。そこで彼らは言葉を尽して夫人にその校正出版の事を勧めた。或時親友の一人が、断片的で且つ半ば読み難い草稿の積み累《かさ》ねてあるのを見ておったが、やがて夫人を顧みて、「これは至難の大事業であります。けれども、もしあなたがこれをなさいませんければ、永劫出来ることはありません」と言った。この一言で夫人は遂に決心したのであるが、夫人はこの事を次の如く記している。
[#ここから2字下げ]
“One of them, who spoke with the authority of a life−long friendship, said, after looking over a mass of detached and half−legible papers, ‘It will be a great and difficult labour; but if you do not do it, it will never be done.’ This decided me.”
[#ここで字下げ終わり]
 夫人はいよいよこの大事業に当る決心をしてからこう思うた。この事業は勿論非常な困難な
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