と、人種を比較の単位とするもの、即ち人種別比較法との、二種の研究方法が行われておったのであるが、人類の交通が進むに従い、一国の法が他国に継受され、これに因って甲国の法と乙国の法との間に親族の如き関係(Kinship)が生ずるから、我輩はこれらの関係を示すために「母法(“Parental law”or“Mother law”)「子法(“Filial law”)なる新語を用い、またその系統を示すために「法系」(“Legal genealogy”)なる語を用い、法系に依りて諸国の法を「法族」(“Families of law”)に分つことを得べく、そしてその研究方法は「法系別研究法」(“Genealogical method”)と称すべしと提議したのである。その事はローヂャース博士の「万国学芸会議報告」第二巻(Howard J. Rogers, Congress of Arts and Science. vol. II[#「II」はローマ数字の2], pp. 376−378, 1906, Boston and New York, Houghton, Mifflin & Co. The University Press, Cambridge.)および拙著英文「日本新民法論」(The New Japanese Civil Code, pp. 29−35. 2nd ed.)中にも載せてある。後に聞くところに拠れば、ドイツには我輩より先に「母法」「子法」に相当する語を用いた者があるとの事であるが、通用の学語としては行われておらなかった。
 また我輩が拙著「隠居論」の始めに隠居の起原を論じて、「隠居俗は食老俗、殺老俗、棄老俗とその社会的系統を同じうし、これらの蛮俗が進化変遷して竟に老人退隠の習俗を生ぜり」と述べたが、この説もその根本思想をドイツのヤコブ・グリムの説に得たものだという人がある。我輩はドイツでは老人を棄てる習俗が後世退隠俗を生じたというグリムの「ドイツ法律故事彙」中の記事を引用して、自説の支証とするつもりであったが、これもまた舶来説と思われたと見える。
 これらの事は、我邦の学問は古来外国から輪入せられたもので、漢学時代においては支那の学者は特別にえらいものと思い、支那の故事を知り支那の学説を知るのが即ち学問であると考え、西洋の学問が渡ってからはまだ日も浅く、新学問にお
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