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一、人ノ子女ヲ金談上ヨリ養女ノ名目ニ為シ娼妓芸妓ノ所業ヲ為サシムル者ハ其実際上則チ人身売買ニ付従前今後可及厳重ノ所置事。
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勇断改法家なる江藤新平氏の面目は右の法令に躍如として現われている。
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六一 フランス民法をもって日本民法となさんとす
維新後における民法編纂の事業は、明治三年に制度局を太政官に設置せられたのに始まったものである。当時江藤新平氏は同局の民法編纂会の会長であったが、同氏は「日本と欧洲各国とは各その風俗習慣を異にすといえども、民法無かるべからざるは則ち一なり。宜《よろ》しく仏国の民法に基づきて日本の民法を制定せざるべからず」という意見を持っておった。右は同氏の伝記「江藤南白」に掲げてあるところであるが、その「仏国の民法に基づきて」という言葉の意味は、如何なる程度においてフランス民法を採ろうとしたものであるか、如何様にも解せられるが、これを江藤氏の勇断急進主義より推し、また同書の記事に拠って見ると、敷き写し主義に依って殆んどそのままに日本民法としようとせられたもののようである。初め制度局の民法編纂会が開かれた時、箕作麟祥博士をしてフランス民法を翻訳せしめ、二葉《によう》もしくは三葉の訳稿なるごとに、直ちに片端からこれを会議に附したとの事である。また江藤氏が司法卿になった後には、法典編纂局を設け、箕作博士に命じてフランスの商法、訴訟法、治罪法などを翻訳せしめ、かつ「誤訳もまた妨げず、ただ速訳せよ」と頻《しき》りに催促せられたとの事である。箕作博士が学者としての立場は定めて苦しい事であったろうと思いやられる。しかも江藤氏はこの訳稿を基礎として五法を作ろうとし、先ず日本民法を制定しようとして「身分証書」の部を印刷に附した。磯部四郎博士の直話に依れば、当時の江藤司法卿の説は、日本と西洋と慣習も違うけれども、日本に民法というものが有る方がよいか無い方がよいかといえば、それは有る方がよいではないかという論で、「それからフランス民法と書いてあるのを日本民法と書き直せばよい。そうして直ちにこれを頒布しよう」という論であったとの事である。
この話は「江藤南白」にも載せてあり、また我輩もしばしば磯部博士から直接に聞いたことがある。
今よりしてこれを観れば、江藤氏の計画は実に突飛極まるものであって、津田真道先生はこ
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