伊達氏の法典「塵芥集」


 「塵芥集」とは奥州の伊達家十三代稙宗が天文五年に制定した法典の名である。稙宗《たねむね》は勇武絶倫の将であって、しばしば隣国と戦って大いに捷《か》ち、将軍足利義稙より偏諱《へんき》を賜うて稙宗と名乗り、奥州の探題となって東北を威服した人である。稙宗老年に及んで治平の策を講じ、天文二年に質物の法を定め、同五年に家老評定人らと議して式目一百六十九条を定めた。今伊達家に存するこの式目の原本には「塵芥集」という題号が附けてあって、「仙台文庫叢書」第二輯にも収められている。同叢書の出版者作並清亮氏の序に拠れば、この題号は式目制定当時につけられたように見えるが、さるにても、何故かかる重要なる文書にかかる軽微なる名を附けたものであろうか。色々と考えてみたが、何分了解することが出来ぬ。「大日本古文書」家わけ第三、伊達家文書巻之一に収めたものは、表紙に「稙宗様御家老 御成敗式目」とあり、条目の始めに「塵芥集」と題してあるが、この原本は後に写したものらしいから、「御成敗式目」とは「貞永《じょうえい》式目」に倣《なろ》うた後ちの称呼らしい。
 或はこの書の一本の奥書に、
[#ここから2字下げ、「此一部」の「一」をのぞき、「レ一二」は返り点]
此一部|者《は》、伊達十三代稙宗朝臣|所レ令レ録《ろくせしむるところ》、在判|并《ならびに》家臣之連判、誠《まことに》可二重宝一之書、頃村田善兵衛藤原親重令二進上一之処、破壊之間、令[#返り点の「下」あり]二畑中助三藤原経吉一新写[#返り点の「上」あり]、加二奥書一也。
   于時延宝七年季冬朔日    伊達十九代左少将藤原朝臣綱村(花押)
[#ここで字下げ終わり]
とあるに依り、一旦塵芥に埋れたる反古の如きものであったから、後に至ってかく名附けたものであろうと言う人もあるが、それにしても、祖先の定めたる治国の宝典に、子孫または家臣がかくの如き題号をつけるとは、合点の行かぬことである。
 この法典には二つの特色がある。その一は、「塵芥集」は全部一百六十九条よりなり、「貞永《じょうえい》式目」に比してその条数三倍以上であるから、武家の法典中最も浩瀚《こうかん》にして且つ最も周密なるものであること。その二は、この条目を仮名で書いてあることである。当時の法令は鎌倉風の異体の漢文多く、仮名を交えたものでも、漢字を用いることが極
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