にも孤煙の細くなびいているさまが想像されている。うっかり見るとただ単に花鳥を描いたとしか見えないが、画題を読むことによって、それが深山の幽趣を描いたものであることを知り、興趣は更に湧然として尽きぬのである。
 今一つの新羅山人画には次の如き画題がある。

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周到白頭情更好
一双高睡海棠春
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 これまた海棠と白頭鳥を描いたものであるが、そこには老来伉儷相和するの意が寓されていることを知るのである。

 東洋画には東洋画の伝統があるように、油絵にはまた油絵の伝統的精神が厳存する。イタリアに始まりフランスが継承したラテン精神がそれである。油絵を描くにはやはりその伝統を見ることが大切である。日本精神だけでいくら油絵を描こうとしても、それは無理である。
 油絵を描く場合においても、根本のエスプリは作者が日本人であるという事実を絶対に離れることはできないが、同時に油絵の伝統そのものにも眼をふさぐわけにはいかない。単に技術の上で学ぶべきものがあるという意ばかりでなく、その伝統精神の中からわれわれは大いに栄養とすべきものを摂取しなければならないと考える。
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