さんずい+得のへん」、第4水準2−78−68]此※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]霜青雀深可託
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つまりその意味は、柿の実が成るまでにはいろいろと苦心を経ている、一見弱々しそうな枝であるが、苦労を経た枝であるから目白もよくそれを知っていて、自分の身を深く託し得られるのだ、というのである。
新羅山人の経歴については深く調べたことはないが、明末清初の画人で、狷介不羈の風格であったことが知られている。明の皇帝から受けた殊遇を忘れず、清朝に代ってからしばしば礼を厚くして招かれたが、飽くまでも二君に仕えることを肯んぜず、清貧に甘んじて一生を終ったといわれている。学者としても聞えた人であったが、余りに奇骨稜々たる性格で、しばしば天を仰いで哭するというようなことがあり、時人が目して狂者としたというようなことも伝わっている。
とにかくそうした人であったから、この絵にもよくその気持が現われているのである。自分は明の遺臣であって今更清朝に仕えようとは思わない、自分は他日明朝が再興する日を待って身を託そうとするばかりである、という意味が自ずから窺われて、惻々とその風格
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