賞は、共に皮相的なるものであるに過ぎない。
これはたとえていえば、人間の場合でも同じことである。いかに恰幅がよく容貌が魁偉であっても、その人にエスプリがなければ、真に威風堂々とは見られないであろうし、如何に器量がよくてもエスプリのない女は美人とは言い得ないわけである。姿態や顔貌は、絵でいえば画面の表面のことで、それを生かすものは結局人間のエスプリであるに外ならない。
支那では昔から「読画」ということがいわれているが、これは非常にいい言葉だと思う。つまり絵は見るものであると同時に、その意味を読むものであるということである。即ち、絵のエスプリを理解して初めて正しい鑑賞がなり立つことをいっているのである。
絵を見る場合、画面には先ず色彩があり、構図があり、線描があって、それが眼に入るのは当然であるが、それ以上に未だ奥があることを知っておかなければならぬ。テクニックの重要なことはもちろんであるが、これは狭い範囲の専門家がいうべきことであって、一般の人は必ずしもテクニックについて理解が深い必要はない。もちろんそれもあるに越したことはないが、その重要さを比較すれば、読画の精神は遥かにそれ以上
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