苦戦の忠勇《ちゅうゆう》は天晴《あっぱれ》の振舞《ふるまい》にして、日本魂《やまとだましい》の風教上より論じて、これを勝氏の始末《しまつ》に比すれば年を同《おなじ》うして語るべからず。
 然《しか》るに脱走《だっそう》の兵、常に利あらずして勢《いきおい》漸《ようや》く迫《せま》り、また如何《いかん》ともすべからざるに至りて、総督《そうとく》を始め一部分の人々は最早《もはや》これまでなりと覚悟《かくご》を改めて敵の軍門に降《くだ》り、捕《とら》われて東京に護送《ごそう》せられたるこそ運の拙《つたな》きものなれども、成敗《せいはい》は兵家《へいか》の常にして固《もと》より咎《とが》むべきにあらず、新政府においてもその罪を悪《にく》んでその人を悪まず、死《し》一等《いっとう》を減《げん》じてこれを放免《ほうめん》したるは文明の寛典《かんてん》というべし。氏の挙動《きょどう》も政府の処分《しょぶん》も共に天下の一|美談《びだん》にして間然《かんぜん》すべからずといえども、氏が放免《ほうめん》の後《のち》に更に青雲《せいうん》の志を起し、新政府の朝《ちょう》に立つの一段に至りては、我輩《わがはい
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