憂一哀一楽、来往《らいおう》常《つね》ならずして身を終るまで円満《えんまん》の安心《あんしん》快楽《かいらく》はあるべからざることならん。されば我輩《わがはい》を以《もっ》て氏の為《た》めに謀《はか》るに、人の食《しょく》を食《は》むの故《ゆえ》を以《もっ》て必ずしもその人の事に死すべしと勧告《かんこく》するにはあらざれども、人情の一点より他に対して常に遠慮《えんりょ》するところなきを得ず。
古来の習慣に従えば、凡《およ》そこの種の人は遁世《とんせい》出家《しゅっけ》して死者の菩提《ぼだい》を弔《とむら》うの例もあれども、今の世間の風潮にて出家《しゅっけ》落飾《らくしょく》も不似合《ふにあい》とならば、ただその身を社会の暗処《あんしょ》に隠《かく》してその生活を質素《しっそ》にし、一切《いっさい》万事《ばんじ》控目《ひかえめ》にして世間の耳目《じもく》に触《ふ》れざるの覚悟《かくご》こそ本意なれ。
これを要するに維新《いしん》の際、脱走《だっそう》の一挙《いっきょ》に失敗《しっぱい》したるは、氏が政治上の死にして、たといその肉体の身は死せざるも最早《もはや》政治上に再生《さいせい》すべからざるものと観念して唯《ただ》一身を慎《つつし》み、一は以《もっ》て同行戦死者の霊を弔《ちょう》してまたその遺族《いぞく》の人々の不幸不平を慰《なぐさ》め、また一には凡《およ》そ何事に限らず大挙《たいきょ》してその首領の地位に在る者は、成敗《せいはい》共に責《せめ》に任じて決してこれを遁《のが》るべからず、成《な》ればその栄誉《えいよ》を専《もっぱ》らにし敗すればその苦難《くなん》に当るとの主義を明《あきらか》にするは、士流社会の風教上《ふうきょうじょう》に大切《たいせつ》なることなるべし。すなわちこれ我輩《わがはい》が榎本氏の出処《しゅっしょ》に就《つ》き所望《しょもう》の一点にして、独《ひと》り氏の一身の為《た》めのみにあらず、国家百年の謀《はかりごと》において士風|消長《しょうちょう》の為《た》めに軽々《けいけい》看過《かんか》すべからざるところのものなり。
以上の立言《りつげん》は我輩《わがはい》が勝、榎本の二氏に向《むかっ》て攻撃を試《こころ》みたるにあらず。謹《つつし》んで筆鋒《ひっぽう》を寛《かん》にして苛酷《かこく》の文字を用いず、以《もっ》てその人の名誉を保護
前へ
次へ
全17ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング