瘠我慢の説
瘠我慢の説
福沢諭吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)立国《りっこく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)人民|相分《あいわか》れて
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)努※[#二の字点、1−2−22]《ゆめゆめ》
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立国《りっこく》は私《わたくし》なり、公《おおやけ》に非《あら》ざるなり。地球面の人類、その数億のみならず、山海《さんかい》天然《てんねん》の境界《きょうかい》に隔《へだ》てられて、各処《かくしょ》に群を成し各処に相分《あいわか》るるは止むを得ずといえども、各処におのおの衣食の富源《ふげん》あれば、これによりて生活を遂《と》ぐべし。また或は各地の固有に有余《ゆうよ》不足《ふそく》あらんには互にこれを交易《こうえき》するも可《か》なり。すなわち天与《てんよ》の恩恵《おんけい》にして、耕《たがや》して食い、製造して用い、交易《こうえき》して便利を達す。人生の所望《しょもう》この外にあるべからず。なんぞ必ずしも区々たる人為《じんい》の国を分《わかち》て人為の境界を定むることを須《もち》いんや。いわんやその国を分《わかち》て隣国と境界を争うにおいてをや。いわんや隣《となり》の不幸を顧《かえり》みずして自《みず》から利せんとするにおいてをや。いわんやその国に一個の首領《しゅりょう》を立て、これを君として仰《あお》ぎこれを主として事《つか》え、その君主のために衆人《しゅうじん》の生命財産を空《むなし》うするがごときにおいてをや。いわんや一国中になお幾多の小区域を分ち、毎区の人民おのおの一個の長者を戴《いただき》てこれに服従するのみか、つねに隣区と競争して利害を殊《こと》にするにおいてをや。
すべてこれ人間の私情に生じたることにして天然の公道にあらずといえども、開闢《かいびゃく》以来今日に至るまで世界中の事相《じそう》を観《み》るに、各種の人民|相分《あいわか》れて一群を成し、その一群中に言語文字を共にし、歴史|口碑《こうひ》を共にし、婚姻《こんいん》相通じ、交際相親しみ、飲食衣服の物、すべてその趣《おもむき》を同《おなじ》うして、自から苦楽《くらく》を共にするときは、復《ま》た離散《りさん》
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