はかえって昔日に多くして、末世の今日にいたり大にその量を減じたる割合なれども、かえりみて文明の程度如何を察するときは昔日に低くして今日に高しといわざるをえず。これに反して智恵の分量は古来今に至るまで次第に増加して、智識少なき時は文明の度低く、智識多き時は文明の度高し。亜非利加《アフリカ》の土人に智識少なし、ゆえに未だ文明の域に至らず。欧米人に智識多し、ゆえにその人民は文明の民なり。
 されば今日の文明は道徳の文明にあらずして智恵の文明なること、また争うべからざるなり。また小児の概して正直にして、無智の人民に道徳堅固の者多きは、今日の実際において疑うべからざることなれば、道徳は必ず人の教によるものにあらず、あたかも人の天賦に備わりて偶然に発起するものなりといえども、智恵は然らず。人学ばざれば智なし。面壁九年能く道徳の蘊奥《うんおう》を究むべしといえども、たとえ面壁九万年に及ぶも蒸気の発明はとても期すべからざるなり。
 世に教育なるものの必要なるは、すなわちこのゆえにして、人学ばざれば智なきがゆえに、学校を建ててこれを教え、これを育するの趣向なり。されども一概に教育とのみにては、その意味は
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