流行に誘われて世を誤るべきのみ。もとより農民の婦女子、貧家の女子中、稀に有為《ゆうい》の俊才を生じ、偶然にも大に社会を益したることなきにあらざれども、こは千百人中の一にして、はなはだ稀有《けう》のことなれば、この稀有の僥倖《ぎょうこう》を目的として他の千百人の後世を誤る、狂気の沙汰に非ずして何ぞや。
また、いたずらに文字を教うるをもって教育の本旨となす者あり。今の学校の仕組は、多くは文字を教うるをもって目的となすものの如し。もとより智能を発育するには、少しは文字の心得もなからざるべからずといえども、今の実際は、ただ文字の一方に偏し、いやしくもよく書を読み字を書く者あれば、これを最上として、試験の点数はもちろん、世の毀誉《きよ》もまた、これにしたがい、よく難字を解しよく字を書くものを視て、神童なり学者なりとして称賛するがゆえに、教師たる者も、たとえ心中ひそかにこの趣を視て無益なることを悟るといえども、特立特行《とくりつとっこう》、世の毀誉をかえりみざることは容易にでき難きことにて、その生徒の魂気《こんき》の続くかぎりをつくさしめ、あえて他の能力の発育をかえりみるにいとまなく、これがために業成り課程を終《おえ》て学校を退きたる者は、いたずらに難字を解し文字を書くのみにて、さらに物の役に立たず、教師の苦心は、わずかにこの活字引《いきじびき》と写字器械とを製造するにとどまりて、世に無用の人物を増したるのみ。
もとより人心全体の釣合を失わざるかぎりは、難字も解せざるべからず、文字も書せざるべからずといえども、本来、人心発育の理において、人の能力は一にして足らず、記憶の能力あり、推理の能力あり、想像の働ありて、この諸能力が各《おのおの》その固有の働をたくましゅうして、たがいに領分を犯《おか》さず、また他に犯されずして、よく平均を保つもの、これを完全の人心という。
然るに毎人の能力の発育に天然の極度《きょくど》ありて、甲の能力はよく一尺に達するの量あるも、乙はわずかに五寸にとどまりて、如何なる術を施し、如何なる方便を用うるも、乙の能力をして甲と等しく一尺に達せしむること能わず。然り而《しこう》して一尺の能力ある者は、これをその諸能力に割合して各二寸また三寸ずつを発育し、これをして一方に偏せしめざるをもって教育の本旨となすといえども、もしこの諸能力中の一個のみを発育する時は、
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