となし。神代の水も華氏の寒暖計二百十二度の熱に逢うて沸騰し、明治年間の水もまた、これに同じ。西洋の蒸気も東洋の蒸気も、その膨脹の力は異ならず。亜米利加の人がモルヒネを多量に服して死すれば、日本人もまた、これを服して死すべし。これを物理の原則といい、この原則を究めて利用する、これを物理学という。人間万事この理に洩《も》るるものあるべからず。もしあるいは然《しか》らざるに似たる者は、未《いま》だ究理の不行届《ふゆきとどき》なるものと知るべし。そもそもこの物理学の敵にして、その発達を妨ぐるものは、人民の惑溺《わくでき》にして、たとえば陰陽五行論《いんようごぎょうろん》の如き、これなれども、幸にして我が国の上等社会には、その惑溺はなはだ少なし。拙著『時事小言』の第四編にいわく、
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「(前略)ひっきょう、支那人がその国の広大なるを自負して他を蔑視《べっし》し、かつ数千年来、陰陽五行の妄説に惑溺して、事物の真理原則を求むるの鍵を放擲したるの罪なり。天文をうかがって吉兆を卜《ぼく》し、星宿の変をみて禍福を憂喜し、竜といい、麒麟《きりん》といい、鳳鳥《ほうちょう》、河図《かと》、
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