て自ら安んずることならんなれども、前節にいえる如く、今日の日本は世界に対するの日本なり、いやしくも国を国として栄辱の所在を知るものは、君らの言行について不平なきを得ざるなり。また些細《ささい》の事なれども手近く一例を示さんに、『時事新報』紙上に折々英語を記して訳文を添えたる西洋の落語また滑稽談《こっけいだん》の如きものは読者の知る所ならん。この文は西洋の新聞紙等より抜きたるものにして、必ずしもその記事の醜美を撰《えら》ぶにあらざれば、時々法外千万なる漫語放言もあれども、人生の内行に関するの醜談、即ち俗にいう下掛《しもがか》りのこととては、かつて一言もこれを見ず。その然る所以《ゆえん》は、訳者が心を用いて特に避けたるにあらずして、原書中を求めて斯《かか》る醜談に見当たらざればなり。今|仮《かり》に西洋の原書を離れて、これに易《か》うるに日本流の落語滑稽を以てせんとして、その種類を集めたらばいかなるものを得《う》べきや。談柄《だんぺい》必ず肉体の区域に入りて、見苦しく聞き苦しきものは十中の七、八なるべし。畢竟《ひっきょう》我が人文のなお未だ鄙陋《ひろう》を免れざるの証として見るべきものなり
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