に由《よし》なしという。醜極まりて奇と称すべし。
数百年来の習俗なれば、これを酷に咎《とが》むるは無益の談に似たれども、今の日本は、これ日本国中の日本にあらずして、世界万国に対する文明世界中の日本なれば、いやしくも日本の栄誉を重んずる士人においては、少しく心する所のものなかるべからず。試みに一例を挙げて士人に問わん。君らがいわゆる盛会に例の如く妓を聘《へい》し酒を飲み得々《とくとく》談笑するときは勿論、時としては親戚・朋友・男女団欒たる内宴の席においても、一座少しく興に入るとき、盃盤《はいばん》を狼藉《ろうぜき》ならしむる者は、君らにあらずして誰《た》ぞや。その狼藉はなお可なり、酒席の一興、かえって面白しとして恕《じょ》すべしといえども、座中ややもすれば三々五々の群《ぐん》を成して、その談、花街《かがい》柳巷《りゅうこう》の事に及ぶが如きは聞くに堪えず。そもそもその花柳の談を喋々喃々《ちょうちょうなんなん》するは、何を談じ何を笑い、何を問い何を答うるや。別品《べっぴん》といい色男といい、愉快といい失策というが如き、様々の怪語醜言を交え用いて、いかなる談話を成すや。酔狂喧嘩の殺風景なる
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