が》しの筆法を以てその社会の陰処《いんしょ》を摘発するにおいては、千百の醜行醜聞、枚挙に遑《いとま》あらず。我輩は親しくその国人の言に聞きたることもあり、またその著書・新聞紙上に見たることもありて、誠に珍しからずといえども、然りといえども日本男子はこの西洋社会の醜行醜聞を見聞して如何《いかん》の感をなすや。これを醜なりとするか、はた美なりとするか。我輩の聞かんと欲する所は、ただその醜美の判断|如何《いかん》の一点にあるのみ。
 日本男子|鉄面皮《てつめんぴ》なるも、その眼《がん》に映じて醜なるものは醜にして、美なるものは美なるべし。既に醜美の判断を得たり、然らば則《すなわ》ち何ぞその醜を去って美に就《つ》かざるや。本来醜美は自身の内に存するものにして、毫末《ごうまつ》も他に関係あるべからず。いやしくも我が一身の内に美ならんか、身外《しんがい》満目《まんもく》の醜美は以て我が美を軽重《けいちょう》するに足らず。あるいはこれに反して我が身に一点の醜を包蔵せんか、満天下に無限の醜を放つものあるも、その醜は以て我が醜を浄《きよ》むるに足らず、また恕《じょ》するに足らず。されば文明なる西洋諸国の
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