ぎょく》もただならざる貴重の身にして自らこれを汚《けが》し、一点の汚穢《おわい》は終身の弱点となり、もはや諸々《もろもろ》の私徳に注意するの穎敏《えいびん》を失い、あたかも精神の痲痺《まひ》を催してまた私権を衛《まも》るの気力もなく、漫然《まんぜん》世と推移《おしうつ》りて、道理上よりいえば人事の末とも名づくべき政事政談に熱するが如き、我輩は失敬ながら本《もと》を知らずして末《すえ》に走るの人と評せざるを得ざるなり。
然《し》かのみならず国の徳義の一般に上進すると共に、品行論はいよいよ穎敏《えいびん》となり、天下後世の談にあらずして、いやしくも不品行者とあれば今日の社会に許されざるを常とす。試みに見るべし、有名なる英国の政治家チャールス・ヂルク氏は、誠に疑わしき艶罪《えんざい》(ある人の説く所に拠《よ》れば全く無根の冤《えん》なりともいう)を以て政治社会を擯《しりぞ》けられたり。我輩はもとより氏に私《わたくし》の縁あらざれば、その人の幸不幸についても深く喜憂するにはあらざれども、ただこの一事を見て、英国政治社会一般の徳風を窺《うかが》い知るのみ。即ち、かの政治社会は潔清《けっせい》無
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