せんとするには私徳を脩《おさ》めざるべからざるの道理も、既に明白なりとして、さて今日の実際において、我が日本国の政治家はいかなる種族の人にして、その私徳の位《くらい》は如何《いかん》と尋ぬるに、外面より見て人品はいずれも皆《みな》中等以上の種族なれども、特別に有徳の君子のみにあらず。その智識聞見は、あるいは西洋流の文明に近き人あるも、徳教の一段に至り特に出色の美なきは、我輩の遺憾に堪えざる所なり。文明の士人|心匠《しんしょう》巧みにして、自家の便利のためには、時に文林儒流の磊落《らいらく》を学び、軽躁浮薄《けいそうふはく》、法外なる不品行を犯しながら、君子は細行《さいこう》を顧みずなど揚言して、以てその不品行を瞞着《まんちゃく》するの口実に用いんとする者なきにあらず。けだし支那流にいう磊落とはいかなる意味か、その吟味はしばらく擱《さしお》き、今日の処にては、磊落と不品行と、字を異にして義を同じうし、磊々落々《らいらいらくらく》は政治家の徳義なりとて、長老その例を示して少壮これに傚《なら》い、遂に政治社会一般の風を成し、不品行は人の体面を汚《けが》すに足らざるのみならず、最も磊落、最も不
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