権の思想の発生する事情は種々様々なれども、最第一《さいだいいち》の原因は、本人の自ら信じ自ら重んずるの心にあって存するものと知るべし。即ち我が徳義を円満無欠の位に定め、一身の尊《たっと》きこと玉璧《ぎょくへき》もただならず、これを犯さるるは、あたかも夜光の璧《たま》に瑕瑾《きず》を生ずるが如き心地して、片時も注意を怠《おこた》ることなく、穎敏《えいびん》に自ら衛《まも》りて、始めて私権を全うするの場合に至るべし。されば今、私権を保護するは全く法律上の事にして、徳義には縁なきものの如くに見ゆれども、元これを保護せんとするの思想は、円満無欠なる我が身に疵《きず》つくるを嫌うの一念より生ずるものなれば、いやしくも内に自ら省みて疚《やま》しきものあるにおいては、その思想の発達、決して十分なるを得《う》べからず。如何《いかん》となれば本人は元来|疵《きず》持つ身にして、その気|既《すで》に餒《う》えたるが故に、大節に臨んで屈することなきを得ず。即ち人心の働きの定則として、一方に本心を枉《ま》げて他の一方にこれを伸ばすの道理あらざればなり。私徳を修めて身を潔清《けっせい》の位《くらい》に置くと、私
前へ 次へ
全60ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング