て身の重きを成して自信自重の資《たすけ》たるべきものなれども、就中《なかんずく》私徳の盛んにしていわゆる屋漏《おくろう》に恥じざるの一義は最も恃《たの》むべきものにして、能《よ》くその徳義を脩《おさ》めて家内に恥ずることなく戸外に憚《はばか》る所なき者は、貧富・才不才に論なく、その身の重きを知って自ら信ぜざるはなし。これを君子の身の位《くらい》という。洋語にいうヂグニチーなるもの、これなり。そもそも人の私徳を脩むる者は、何故《なにゆえ》に自信自重の気象を生じて、自ら天下の高所に居《お》るやと尋ぬるに、能《よ》く難《かた》きを忍んで他人の能《よ》くせざる所を能くするが故なり。例えば読書生が徹夜勉強すれば、その学芸の進歩|如何《いかん》にかかわらず、ただその勉強の一事のみを以て自ら信じ自ら重んずるに足るべし。寺の僧侶が毎朝《まいちょう》早起《そうき》、経《きょう》を誦《しょう》し粗衣粗食して寒暑の苦しみをも憚《はばか》らざれば、その事は直ちに世の利害に関係せざるも、本人の精神は、ただその艱苦《かんく》に当たるのみを以て凡俗を目下に見下すの気位を生ずべし。天下の人皆|財《ざい》を貪《むさぼ》
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