を等閑《なおざり》にしたるにあり。なお進んで吟味を遠くすれば、その父母の父母たる祖父母より以上|曾祖《そうそ》玄祖《げんそ》に至るまでも罪を免るべからず。前節にもいえる如く、人の心の不徳は身の病に異ならず、病毒の力|能《よ》く四、五世に遺伝するものなれば、不徳の力もまた四、五世に伝えて禍《わざわい》せざるを得ず。されば公徳の根本は一家の私徳にありて、その私徳の元素は夫婦の間に胚胎《はいたい》すること明々白々、我輩の敢《あ》えて保証する所のものなれば、男女両性の関係は立国の大本、禍福の起源として更に争うべからず。今日吾々日本国民の形体は、伊奘諾・伊奘冊|二尊《にそん》の遺体にして、吾々の依《よ》って以《もっ》て社会を維持する私徳公徳もまた、その起源を求むれば、二尊夫婦の間に行われたる親愛恭敬の遺徳なりと知るべし。
 夫婦親愛恭敬の徳は、天下万世百徳の大本《たいほん》にして更に争うべからざるの次第は、前《ぜん》既にその大意を記《しる》して、読者においても必ず異議はなかるべし。そもそも我輩がここに敬の字を用いたるは偶然にあらず。男女肉体を以て相《あい》接《せっ》するものなれば、仮令《たと》え
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