これを恐るること非常にして、精神を腐敗せしむるの不品行は、世間に同行者の多きがためにとて自らこれを犯して罪を免れんとす。無稽《むけい》もまた甚だしというべし。故にかの西洋家流が欧米の著書・新聞紙など読みてその陰所の醜を探り、ややもすればこれを公言して、以て冥々《めいめい》の間に自家の醜を瞞着《まんちゃく》せんとするが如き工風《くふう》を運《めぐ》らすも、到底《とうてい》我輩の筆鋒を遁《のが》るるに路《みち》なきものと知るべし。
 日本男子の内行不取締は、その実《じつ》において既に厭《いと》うべきもの少なからざるなおその上に、古来習俗の久しき、醜を醜とせずして愧《は》ずるを知らざるのみならず、甚だしきに至りて、その狼藉《ろうぜき》無状《ぶじょう》の挙動を目して磊落《らいらく》と称し、赤面の中に自《おの》ずから得意の意味を含んで、世間の人もこれを許して問わず、上流社会にてはその人を風流才子と名づけて、人物に一段の趣《おもむき》を添えたるが如くに見え、下等の民間においても、色は男の働きなどいう通語を生じて、かつて憚《はばか》る所なきは、その由来、けだし一朝一夕のことにあらず。我が王朝文弱の時代にその風を成し、玉《たま》の盃《さかずき》底なきが如しなどの語は、今に至るまで人口に膾炙《かいしゃ》する所にして、爾後《じご》武家の世にあっては、戸外兵馬の事に忙《せ》わしくして内を修むるに遑《いとま》なく、下って徳川の治世に儒教大いに興りたれども、支那の流儀にして内行の正邪は深く咎《とが》めざるのみならず、文化文政の頃に至りては治世の極度、儒もまた浮文《ふぶん》に流れて洒落《しゃらく》放胆を事とし、殊に三都の如きはその最も甚だしきものにして、儒者文人の叢淵《そうえん》即ち不品行家の巣窟《そうくつ》とも名づくべき悪風を成し、遂に徳川を終わりて明治の新世界に変じたれども、いわゆる洒落放胆の気風は今なお存して止《や》まず、かの洋学者流の如き、その学ぶ所の事柄は全く儒林の外にして、仮令《たと》え西洋の宗教道徳門に入らざるも、その国人に接し、その言を聴き、その書を読み、その風俗を視察するときは、事の内実はともかくも、その表面のみにても、これを日本の事態に比して大いに異なる所あるを発明し、大いに悟りて自ら新たにし、儒流|洒落《しゃらく》の不品行を脱却して紳士の正《せい》に帰すべきはずなるに、言行|一切《いっさい》西洋流なるにもかかわらず、内行の一点に至りては純然たる旧日本人の本色を失わざるもの多し。けだし社会一般の習俗に制せられて、醜を醜とするの明《めい》を失うたるものにして、あるいはこれを評し有心故造《ゆうしんこぞう》の罪にあらず、無心に悪を犯すの愚というも可ならん。この点より見れば悪《にく》むべきにあらず、むしろ憐れむべきのみ。
 前年外国よりある貴賓の来遊したるとき、東京の紳士と称する連中が頻《しき》りに周旋奔走して、礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓《げいぎ》を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の芸を演ずるの傍《かたわ》ら、往々言うべからざる醜行に身を汚《けが》し、ほとんど娼妓《しょうぎ》に等しき輩なれば、固《もと》より貴人の前に面すべき身分にあらず。西洋諸国の上流社会にてこの種の女子を賤《いや》しむは勿論、我が日本国においても、仮に封建時代の諸侯を饗するに今日の如き芸妓の歌舞を以てせんとしたらば、必ず不都合を訴うることならん。されば、かの貴賓もその芸妓の何ものたるを知らざりしこそ幸いなれ、もしも内実の事情を聞くこともありしならんには、饗応の満足に引替えて、失敬無状を憤りしことなるべし。これとてもさきの紳士連中は無礼と知りて行うたるにあらず、その平生において、男女品行上のことをば至って手軽に心得、ただ芸妓の容姿を悦《よろこ》び、美なること花の如しなどとて、徳義上の死物たる醜行不倫の女子も、潔清上品なる良家の令嬢も大同小異の観をなして、さては右の如き大間違いに陥りたるものならんのみ。我輩は直ちにその人を咎《とが》めずして、我が習俗の不取締にして人心の穎敏《えいびん》ならざるを歎息する者なり。これを要するに、今の紳士も学者も不学者も、全体の言行の高尚なるにかかわらず、品行の一点においては、不釣合に下等なる者多くして、俗言これを評すれば、御座《ござ》に出されぬ下郎《げろう》と称して可なるが如し。花柳《かりゅう》の間に奔々《ほんぽん》して青楼《せいろう》の酒に酔い、別荘|妾宅《しょうたく》の会宴に出入《でいり》の芸妓を召すが如きは通常の人事にして、甚だしきは大切なる用談も、酒を飲み妓《ぎ》に戯るるの傍《かたわ》らにあらざれば、談者相互の歓心を結ぶ
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