が》しの筆法を以てその社会の陰処《いんしょ》を摘発するにおいては、千百の醜行醜聞、枚挙に遑《いとま》あらず。我輩は親しくその国人の言に聞きたることもあり、またその著書・新聞紙上に見たることもありて、誠に珍しからずといえども、然りといえども日本男子はこの西洋社会の醜行醜聞を見聞して如何《いかん》の感をなすや。これを醜なりとするか、はた美なりとするか。我輩の聞かんと欲する所は、ただその醜美の判断|如何《いかん》の一点にあるのみ。
 日本男子|鉄面皮《てつめんぴ》なるも、その眼《がん》に映じて醜なるものは醜にして、美なるものは美なるべし。既に醜美の判断を得たり、然らば則《すなわ》ち何ぞその醜を去って美に就《つ》かざるや。本来醜美は自身の内に存するものにして、毫末《ごうまつ》も他に関係あるべからず。いやしくも我が一身の内に美ならんか、身外《しんがい》満目《まんもく》の醜美は以て我が美を軽重《けいちょう》するに足らず。あるいはこれに反して我が身に一点の醜を包蔵せんか、満天下に無限の醜を放つものあるも、その醜は以て我が醜を浄《きよ》むるに足らず、また恕《じょ》するに足らず。されば文明なる西洋諸国の社会にもなお醜行の盛んなるを見聞したらば、幸いに取って以て自省の材料にこそ供すべけれ、いかに自儘《じまま》なる説を作るも、他の悪事を見て自家の悪事を恕するの口実に用いんとするが如きは、我輩の断じて許さざる所なり。近く比喩《たとえ》を以てこれを示さんに、不品行によりて徳を害するも、虎列剌《コレラ》毒に触れて身を害するも、その害は同様なるべし。然るに今|虎列剌《コレラ》の流行に際して我が保身の法を如何《いかん》するや。天下の人|皆《みな》病毒に感ず、流行病は天下の流行にして、西洋諸国また然りとのことなれば、もはや我が身も自ら顧みるに遑《いとま》あらず、共にその毒に伝染して広く世界の人と病苦死生を与《とも》にすべしとて、自暴自棄する者あるべきや。我輩未だその人を見ざるのみならず、その流行のいよいよ盛んなるに従って自ら戒むるの法もいよいよ綿密にして、謹慎に謹慎を加うるは、世界古今人情の常なり。人生の身体とその精神と、いずれをも軽しとしまた重しとすべからざるはいうまでもなきことにして、今|内行《ないこう》の不取締は、人倫の大本《たいほん》を破りて先ず精神を腐敗せしむるものなり。身体を犯すの病毒は
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