服すること能わざる者なり。そもそも論者の憂うるところを概言すれば、今の子弟は上《かみ》を敬せずして不遜なり、漫《みだり》に政治を談じて軽躁なりというにすぎず。論者の言、はなはだ是《ぜ》なり。我が輩とてももとより同憂なりといえども、少年輩がかくまでにも不遜軽躁に変じたるは、たんに学校教育の欠点のみによりて然るものか。もしも果して然るものとするときは、この欠点は何によりて生じたるものか、その原因を推究すること緊要なり。
 教育の欠点といえば、教師の不徳と教書の不経《ふけい》なることならん。然るに我が日本において、開闢《かいびゃく》以来稀なる不徳の教師を輩出して、稀なる不経の書を流行せしめたるは何ものなるぞや。あるいは前年、文部省より定めたる学制によりて然るものなりといわんか、然らばすなわち文部省をしてかかる学制を定めしめたるは何ものなるぞや。これを推究せざるべからず。我が輩の所見においては、これを文部省の学制に求めず、また教師の不徳、教書の不経をも咎《とが》めず。これらは皆、事の近因として、さらにこの近因を生じたる根本の大原因に溯《さかのぼ》るに非ざれば、事の得失を断ずるに足らざるを信ずる
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