。社会の公議輿論、すなわち一世の気風は、よく仏門慈善の智識をして、殺人戦闘の悪業《あくごう》をなさしめたるものなり。右はいずれも、人生の智徳を発達せしめ退歩せしめ、また変化せしむるの原因にして、その力はかえって学校の教育に勝《まさ》るものなり。学育もとより軽々《けいけい》看過すべからずといえども、古今の教育家が漫《みだり》に多《た》を予期して、あるいは人の子を学校に入れてこれを育すれば、自由自在に期するところの人物を陶冶《とうや》し出だすべしと思うが如きは、妄想《もうそう》のはなはなだしきものにして、その妄漫《もうまん》なるは、空気・太陽・土壌の如何を問わず、ただ肥料の一品に依頼して草木の長茂を期するに等しきのみ。
俚諺《りげん》にいわく、「門前の小僧習わぬ経を読む」と。けだし寺院のかたわらに遊戯する小童輩は、自然に仏法に慣れてその臭気を帯ぶるとの義ならん。すなわち仏《ぶつ》の気風に制しらるるものなり。仏の風にあたれば仏に化し、儒の風にあたれば儒に化す。周囲の空気に感じて一般の公議輿論に化せらるるの勢は、これを留《とど》めんとして駐《とど》むべからず。いかなる独主独行の士人といえども
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