代と、ひとしく封建なれども、その士人《しじん》の出処《しゅっしょ》を見るに、支那にては道行われざれば去るとてその去就《きょしゅう》はなはだ容易なり。孔子は十二君に歴事したりといい、孟子が斉《せい》の宣王《せんおう》に用いられずして梁の恵王を干《おか》すも、君に仕《つか》うること容易なるものなり。遽伯玉《きょはくぎょく》の如き、「|邦有[#レ]道則仕《くにみちあらばつかえ》、|邦無[#レ]道則可[#二]巻而懐[#一レ]之《くにみちなくんばまきてこれをふところにすべし》」とて、自国を重んずるの念、はなはだ薄きに似たれども、かつて譏《そしり》を受けたることなきのみならず、かえって聖人の賛誉を得たり。これに反して日本においては士人の去就はなはだ厳《げん》なり。「忠臣二君に仕えず、貞婦両夫に見《まみ》えず」とは、ほとんど下等社会にまで通用の教にして、特別の理由あるに非ざればこの教に背《そむ》くを許さず。日支両国の気風、すなわち両国に行わるる公議輿論の、相異なるものにして、天淵《てんえん》ただならざるを見るべし。
然るにその国人のもっとも尊崇する徳教は何ものなるぞと尋ぬるに、支那人も聖人の書を読
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