じゅんこそく》の頑物《がんぶつ》なりとてただ冷笑したるのみのことならん。
 されば我々年少なりといえども、二十年前の君の齢《よわい》にひとし。我々の挙動、軽躁なりというも、二十年前の君に比すれば、深く譴責《けんせき》を蒙るの理《り》なし。ただし、君は旧幕府の末世《まっせ》にあたりて乱に処《しょ》し、また維新の初において創業に際したることなれば、おのずから今日の我々に異なり。我々は今日、治世にありて乱を思わず、創業の後を承けて守成《しゅせい》を謀る者なり。時勢を殊《こと》にし事態を同じゅうせずといえども、熱心の熱度は前年の君に異ならず。けだしこの熱は我々の身において独発に非ず。その実は君の余熱に感じて伝染したるものというも可なり云々と、利口に述べ立てられたらば、長者の輩も容易にこれに答うること能わずして、あるいはひそかに困却するの意味なきに非ざるべし。
 その趣《おもむき》は、老成人が少年に向い、直接にその遊冶放蕩《ゆうやほうとう》を責め、かえって少年のために己《おの》が昔年の品行を摘発枚挙せられ、白頭汗を流して赤面するものに異ならず。直接の譴責は各自個々の間にてもなおかつ効を見ること少
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