きもこの全面目中の一部分たるに過ぎざるのみ。
されば今の世の教育論者が、今のこの不遜軽躁《ふそんけいそう》なる世態に感動してこれを憂うるははなはだ善《よ》し。またこれに驚くも至当の事なれども、論者はこれを憂い、これに驚きて、これを古《いにしえ》に復せんと欲するか。すなわち元禄年間の士人と見《けん》を同じゅうして、元禄の忠孝世界に復古せんと欲するか。論者が、しきりに近世の著書・新聞紙等の説を厭《いと》うて、もっぱら唐虞三代の古典を勧《すす》むるは、はたしてこの古典の力をもって今の新説を抹殺するに足るべしと信ずるか。しかのみならず論者が、今の世態の、一時、己《おの》が意に適せずして局部に不便利なるを発見し、その罪をひとり学校の教育に帰《き》して喋々《ちょうちょう》するは、はたしてその教育をもって世態を挽回するに足るべしと信ずるか。我が輩はその方略に感服する能わざるものなり。
そもそも明治年間は元禄に異なり。その異なるは教育法の異なるに非ず、公議輿論の異なるものにして、もしも教育法に異なるものあらば、これをして異ならしめたるものは、公議輿論なりといわざるをえず。而《しこう》して明治年間の
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