思わざるべからず。子生るれば、父母力を合せてこれを教育し、年齢十歳余までは親の手許《てもと》に置き、両親の威光と慈愛とにてよき方に導き、すでに学問の下地《したじ》できれば学校に入れて師匠の教を受けしめ、一人前の人間に仕立《したつ》ること、父母の役目なり、天に対しての奉公なり。子の年齢二十一、二歳にも及ぶときは、これを成人の齢《よわい》と名づけ、おのおの一人の了管《りょうけん》できるものなれば、父母はこれを棄てて顧みず、独立の活計を営ましめ、その好む所に行き、その欲する事をなさしめて可なり。
ただし親子の道は、生涯も死後も変るべきにあらざれば、子は孝行をつくし、親は慈愛を失うべからず。前にいえる棄てて顧みずとは、父子の間柄《あいだがら》にても、その独立自由を妨げざるの趣意のみ。西洋書の内に、子生れてすでに成人に及ぶの後は、父母たる者は子に忠告すべくして命令すべからずとあり。万古不易《ばんこふえき》の金言、思わざるべからず。
さてまた、子を教うるの道は、学問手習はもちろんなれども、習うより慣るるの教、大なるものなれば、父母の行状正しからざるべからず。口に正理を唱《となう》るも、身の行い
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