鄙劣《ひれつ》なれば、その子は父母の言語を教とせずしてその行状を見慣うものなり。いわんや父母の言行ともに不正なるをや。いかでその子の人たるを望むべき。孤子《みなしご》よりもなお不幸というべし。
 あるいは父母の性質正直にして、子を愛するを知れども、事物の方向を弁ぜず、一筋に我が欲するところの道に入らしめんとする者あり。こは罪なきに似たれども、その実は子を愛するを知て子を愛するゆえんの道を知らざる者というべし。結局その子をして無智無徳の不幸に陥らしめ、天理人道に背く罪人なり。人の父母としてその子の病身なるを患《うれえ》ざるものなし。心の人にしかざるは、身体の不具なるよりも劣るものなるに、ひとりその身体の病を患《うれえ》て心の病を患えざるは何ぞや。婦人の仁というべきか、あるいは畜類の愛と名づくるも可なり。
 人の心の同じからざる、その面《おもて》の相異《あいこと》なるが如し。世の開《ひらく》るにしたがい、不善の輩《はい》もしたがって増し、平民一人ずつの力にては、その身を安くし、その身代を護るに足らず。ここにおいて一国衆人の名代《みょうだい》なる者を設け、一般の便不便を謀《はかっ》て政律を立
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