一婦二夫、家におることあらば、主人よくこれを甘んじてその婦人に事《つかう》るか。また『左伝《さでん》』にその室《しつ》を易《かう》うということあり。これは暫時《ざんじ》細君を交易することなり。
 孔子様は世の風俗の衰うるを患《うれえ》て『春秋』を著し、夷狄《いてき》だの中華だのと、やかましく人をほめたり、そしりたりせられしなれども、細君の交易はさまで心配にもならざりしや、そしらぬ顔にてこれをとがめず。我々どもの考にはちと不行届のように思わるるなり。あるいはまた、『論語』の「夫婦別あり」も、ほかに解しようのある文句か。漢儒先生たちの説もあるべし。
 親に孝行は当然のことなり。ただ一心に我が親と思い、余念なく孝行をつくすべし。三年父母の懐《ふところ》をまぬかれず、ゆえに三年の喪《も》をつとむるなどは、勘定ずくの差引にて、あまり薄情にはあらずや。
 世間にて、子の孝ならざるをとがめて、父母の慈ならざるを罪する者、稀なり。人の父母たる者、その子に対して、我が生たる子と唱え、手もて造り、金もて買いし道具などの如く思うは、大なる心得ちがいなり。天より人に授かりたる賜《たまもの》なれば、これを大切に
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