し、婦人を取扱うこと下婢《かひ》の如く、また罪人の如くして、かつてこれを恥ずる色なし。浅ましきことならずや。一家の主人、その妻を軽蔑すれば、その子これに傚《ならっ》て母を侮《あなど》り、その教を重んぜず。母の教を重んぜざれば、母はあれどもなきが如し。孤子《みなしご》に異ならざるなり。いわんや男子は外を勤《つとめ》て家におること稀なれば、誰かその子を教育する者あらん。哀《あわれ》というも、なおあまりあり。
『論語』に「夫婦別あり」と記せり。別ありとは、分けへだてありということにはあるまじ。夫婦の間は情《なさけ》こそあるべきなり。他人らしく分け隔ありては、とても家は治《おさま》り難し。されば別とは区別の義にて、この男女《なんにょ》はこの夫婦、かの男女はかの夫婦と、二人ずつ区別正しく定るという義なるべし。然るに今、多勢《たぜい》の妾を養い、本妻にも子あり、妾にも子あるときは、兄弟同士、父は一人にて母は異《こと》なり。夫婦に区別ありとはいわれまじ。男子に二女を娶《めと》るの権あらば、婦人にも二夫を私《わたくし》するの理なかるべからず。試《こころみ》に問う、天下の男子、その妻君が別に一夫を愛し、
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