るときは、人の天然|持前《もちまえ》の性は正しきゆえ、悪《あ》しき方へは赴《おもむ》かざるものなり。
もし心得ちがいの者ありて自由の分限を越え、他人を害して自から利せんとする者あれば、すなわち人間の仲間に害ある人なるゆえ、天の罪するところ、人の許さざるところ、貴賤長幼の差別なく、これを軽蔑して可なり、これを罰して差支《さしつかえ》なし。右の如く、人の自由独立は大切なるものにて、この一義を誤るときは、徳も脩むべからず、智も開くべからず、家も治《おさま》らず、国も立たず、天下の独立も望むべからず。一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし。士農工商、相互《あいたがい》にその自由独立を妨ぐべからず。
人倫の大本《たいほん》は夫婦なり。夫婦ありて後に、親子あり、兄弟姉妹あり。天の人を生ずるや、開闢《かいびゃく》の始、一男一女なるべし。数千万年の久しきを経るもその割合は同じからざるをえず。また男といい女といい、ひとしく天地間の一人にて軽重《けいちょう》の別あるべき理なし。
古今、支那・日本の風俗を見るに、一男子にて数多《あまた》の婦人を妻妾《さいしょう》に
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング