しょちょう》あり、その志に所好《しょこう》あり、所好は必ず長じ、所長は必ず好む。今天下の士君子、もっぱら世事《せいじ》に鞅掌《おうしょう》し、干城《かんじょう》の業《わざ》を事とするも、あるいは止むをえざるに出ずるといえども、おのずからその所長所好なからざるをえず。ゆえにかの士君子も、天与の自由を得て、その素志を施すものというべし。また我が党の士、幽窓の下におりて、秋夜月光に講究すること、旧日に異なることなきを得て、修心開知の道を楽しみ、私に済世《さいせい》の一斑を達するは、あにまた天与の自由を得るものといわざるべけんや。
然《しから》ばすなわち我が輩の所業、その形は世情と相反するに似たりといえども、その実はともに天道の法則にしたがいて天賦の才力を用ゆるの外ならざれば、此彼《しひ》の間《かん》、毫《ごう》も相戻《あいもと》ることなし。前日の事、すでにすでにかくの如し、後日の事、またまさにかくの如くなるべければ、我が党の士、自から阿《おもね》らず、自から曲げず、己《おのれ》に誇ることなく、人を卑《いやし》むことなく、夙夜《しゅくや》業を勉めて、天の我にあたうるところのものを慢《まん》に
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