却て意を慰むるに足る可し。曾て或る洋学者が妻を娶り、其妻も少し許《ばか》り英語を解して夫婦睦じく家に居り、一人の老母あれども何事も相談せざるのみか知らせもせずに、夫婦の専断に任せて、母は有れども無きが如し。或るとき家の諸道具を片付けて持出すゆえ、母が之を見て其次第を嫁に尋ぬれば、今日は転宅なりと言うにぞ、老人の驚き一方ならず、此人はまだ極老に非ず、心身共に達者にして能く事を弁ずれども、夫婦両人は常に老人をうるさく思い、朝夕の万事互に英語を以て用を達するの風なりしゆえ、転宅の其朝に至るまで何事も老人の耳に入らずして一切夢中、何時《いつ》の間《ま》にか荷物同様新宅に運搬せられたることなり。倅の不敬乱暴無法は申すまでもなく、嫁の不埒《ふらち》も亦|悪《にく》む可し。無教育なる下等の暗黒社会なれば尚お恕《ゆる》す可きなれども、苟《いやしく》も上流の貴女紳士に此奇怪談は唯驚く可きのみ。思うに此英語夫婦の者共は、転宅の事を老人に語るも無益《むやく》なり、到底その意に任せて左右せしむ可き事に非ずとて、夫婦|喃々《なんなん》の間に決したることならんなれども、是れぞ所謂老人の口腹を養うを知て其情を養うの
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