新女大学
福沢諭吉

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)夫《そ》れ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)随分|易《やす》きことに非ず

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#改ページ]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

一 夫《そ》れ女子は男子に等しく生れて父母に養育せらるゝの約束なれば、其成長に至るまで両親の責任軽からずと知る可《べ》し。多産又は病身の母なれば乳母を雇うも母体衛生の為めに止むを得ざれども、成る可くば実母の乳を以て養う可し。母体平生の健康大切なる所以《ゆえん》なり。小児は牛乳を以て養う可しと言い、財産家は乳母を雇うこと易しとて、母に乳あるも態《わざ》と之を授《さず》けずして恰《あたか》も我子の生立を傍観する者なきにあらず。大なる心得違にして、自然の理に背く者と言う可し。
一 婦人の妊娠出産は勿論《もちろん》、出産後小児に乳を授け衣服を着せ寒暑昼夜の注意心配、他人の知らぬ所に苦労多く、身体も為めに瘠《や》せ衰《おとろ》うる程の次第なれば、父たる者は其苦労を分ち、仮令《たと》い戸外の業務あるも事情の許す限りは時を偸《ぬす》んで小児の養育に助力し、暫くにても妻を休息せしむ可し。世間或は人目を憚《はばか》りて態と妻を顧みず、又或は内実これを顧みても表面に疏外《そがい》の風を装《よそお》う者あり。たわいもなき挙動なり。夫が妻の辛苦を余処《よそ》に見て安閑《あんかん》たるこそ人倫の罪にして恥ず可きのみならず、其表面を装うが如きは勇気なき痴漢《バカモノ》と言う可し。
一 女子少しく成長すれば男子に等しく体育を専一《せんいつ》とし、怪我せぬ限りは荒き事をも許して遊戯せしむ可し。娘の子なるゆえにとて自宅に居ても衣裳に心を用い、衣裳の美なるが故に其破れ汚れんことを恐れ、自然に運動を節して自然に身体の発育を妨ぐるの弊《へい》あり。大なる心得違なり。小児遊戯の年齢には粗衣粗服、破れても汚れても苦しからぬものを着せて、唯活溌の運動を祈る可し。又食物も気を付けて無害なる滋養品を与うるは言うまでもなきことながら、食物一方に依頼して子供を育てんとするは是亦《これまた》心得違なり。如何に食物を良くするも、其食物に相応する丈《だ》けの体動なくしては、食物こそ却て発育の害なれ。田舎の小民の子が粗食大食勝手次第にして却て健康なる者多し。京都大阪辺の富豪家に虚弱なる子あれば、之を八瀬大原《やせおおはら》の民家に託して養育する者ありと言う。田舎の食物の粗なるは勿論のことなれども、田舎の物を食して田舎風に運動遊戯すれば、身体に利する所は都会の美食に勝るものあるが故なり。左《さ》れば小児を丈夫に養育せんとならば、仮令《たと》い巨万の富あるも先ず其家を八瀬大原にして、之に生理学問上の注意を加う可きのみ。
一 尚《な》お成長すれば文字を教え針持つ術を習わし、次第に進めば手紙の文句、算露盤の一通りを授けて、日常の衣服を仕立て家計の出納《すいとう》を帳簿に記して勘定の出来るまでは随分|易《やす》きことに非ず。父母の心して教う可き所なり。又台所の世帯万端、固《もと》より女子の知る可き事なれば、仮令い下女下男|数多《あまた》召使う身分にても、飯の炊きようは勿論、料理献立、塩噌《えんそ》の始末に至るまでも、事|細《こまか》に心得置く可し。自分|親《みず》から手を下さゞるにもせよ、一家の世帯は夢中に持てぬものなれば、娘の時より之に慣るゝこと大切なりと知る可し。
一 前条は学問と言う可き程のことにあらず、貴賤貧富に論なく女子教育の通則として、扨学問の教育に至りては女子も男子も相違あることなし。第一物理学を土台にして夫れより諸科専門の研究に及ぶ可し。之を喩《たと》えば日本の食物は米飯を本《もと》にし、西洋諸国はパンを本にして、然る後に副食物あるが如く、学問の大本は物理学なりと心得、先ず其大概を合点して後に銘々の好む所に従い勉む可きを勉む可し。極端を論ずれば兵学の外に女子に限りて無用の学なしと言う可き程の次第なれども、其勉学の程度に至りては大に注意す可きものあり。第一女子は家の内事を司《つかさ》どるの務《つとめ》あるが故に学事勉強の暇《いとま》少なし。是れは財産の問題にして、金さえあれば家事を他人に託して独り学を勉む可しと言うも、女子の身体、男子に異なるものありて、月に心身の自由を妨げらるゝのみならず、妊娠出産に引続き小児の哺乳養育は女子の専任にして、為めに時を失うこと多ければ、学問上に男子と併行す可らざるは自然の約束と言うも可なり。殊に我日本国に於ては、古来女性の学問教育を等閑《なおざり》に附して既に其習慣を成した
次へ
全10ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング