分の利益のみに非ず、子孫の為めに遁《のが》る可《べか》らざる義務なりと知る可し。
一 家の美風その箇条は様々なる中にも、最も大切なるは家族|団欒《だんらん》相互に隠すことなきの一事なり。子女が何かの事に付き母に語れば父にも亦これを語り、父の子に告ぐることは母も之を知り、母の話は父も亦知るようにして、非常なる場合の外は一切万事に秘密なく、家内|恰《あたか》も明放しにして、親子の間始めて円滑なる可し。是れは自分の意なれども父上には語る可らず、何々は自分一人の独断なり母上には内証などの談は、毎度世間に聞く所なれども、斯くては事柄の善悪に拘《かか》わらず、既に骨肉の間に計略を運《めぐ》らすことにして、子女養育の道に非ざるなり。
一 女子既に成長して家庭又学校の教育も了《おわ》れば男子と結婚す。結婚は生涯の一大事にして、其法、西洋諸国にては当局の男女相見て相択び、互に往来し互に親しみ、いよ/\決心して然る後父母に告げ、其同意を得て婚式を行うと言う。然るに日本に於ては趣を異にし、男子女子の為めに配偶者を求むるは父母の責任にして、其男女が年頃に達すれば辛苦して之を探索し、長し短し取捨百端、いよ/\是れならばと父母の間に内決して、先ず本人の意向如何を問い、父母の決したる所に異存なしと答えて、事始めて成るの風なり。故に表面より見れば子女の結婚は父母の意に成り、本人は唯成を仰ぐのみの如くなれども、其実は然らず。父母は唯発案者にして決議者に非ず、之を本人に告げて可否を問い、仮初《かりそめ》にも不同心とあらば決して強《し》うるを得ず。直《ただち》に前議を廃して第二者を探索するの例なれば、外国人などが日本流の婚姻を見て父母の意に成ると言うは、実際を知らざる者の言にして取るに足らず。譬《たと》えば封建の時代に武家は百姓町人を斬棄てると言いながら実際に斬棄てたる者なきが如く、正式に名を存するのみにして習慣の許さゞる所なり。但し天地は広し、真実の父母が銭の為めに娘を売る者さえある世の中ならば、所謂《いわゆる》親の威光を以て娘の嫁入を強うる者もあらん。昔の馬鹿侍が酔狂に路傍の小民を手打にすると同様、情け知らずの人非人として世に擯斥《ひんせき》せらる可きが故に、斯《かか》る極端の場合は之を除き、全体を概して言えば婚姻法の実際に就き女子に大なる不平はなかる可し。
一 父母が女子の為めに配偶者を求むるは至極の便利にして、其間に本人の自由を妨ぐることなきに似たれども、今一歩を進むれば社会全体に男女交際法の区域を広くし、之を高尚にし、之を優美にし、所謂和して乱れざるの佳境に進めて自由自在ならしめんこと、我輩の常に願う所なり。斯くなる上は、女子が父母に婚姻を勧めらるゝとき、自分の見聞広ければ配偶の可否を答うるも易く、又或は其身躬から意に適したる者を認め得たるときも、極内々に父母に語るか、又は窃《ひそか》に人を以て言わしむるかして、親子共に非常の便利ある可し。固《もと》より願わしき事なれども、如何せん、是れは唯今日の希望にして、今日の実際に行う可らず。強いて実行せんとすれば、其便利は以て弊害を償《つぐな》うに足らざることある可し。我輩の窃《ひそか》に恐るゝ所なり。蓋《けだ》し男女交際法の尚《な》お未熟なる時代には、両性の間、単に肉交《にくこう》あるを知て情交あるを知らず、例えば今の浮世男子が芸妓などを弄ぶが如き、自から男女の交際とは言いながら、其調子の極めて卑陋《ひろう》にして醜猥《しゅうわい》無礼なるは、気品高き情交の区域を去ること遠し。仮令い直接に身を汚さゞる者あるも、帰する所は肉交の波瀾中に浮沈するものと言わざるを得ず。左れば今日両性の気品を高尚にして其交際を広くし、随て結婚の契約をも自由自在ならしめんとするには、唯社会改良の時節を待つのみ。否な、徒《いたずら》に其時節到来を待つに非ず、天下有志の善男善女が躬践《きゅうせん》実行して実例を示し、以て其時節を作らんこと、我輩の希望し勧告する所なり。
一 女子の結婚は男子に等しく、他家に嫁するあり、実家に居て壻養子するあり、或は男女共に実家を離れて新家を興すことあり。其事情は如何ようにても、既に結婚したる上は、夫婦は偕老同穴、苦楽相共の契約を守りて、仮初にも背《そむ》く可らず。女子が生涯娘なれば身は却て安気なる可きに、左りとては相済まずとて結婚したるこそ苦労の種を求めたるに似たれども、男女家に居るは天然の命ずる所にして、其居家の楽しみは以て苦しみを償うて余りある可し。故に結婚は独身時代の苦楽を倍にするの約束にして、快楽も多き代りに苦労も亦多し。夫婦正しく一身同体、妻の病気には夫の身を苦しめ、夫の恥辱には妻の心を痛ましめ、其感ずる所に些少《さしょう》の相違あることなし。世の男女或は此|賭易《みやす》き道理を知らずして、結婚は
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