政事と教育と分離すべし
福沢諭吉
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)安堵《あんど》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)人心|頑冥固陋《がんめいころう》
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政治は人の肉体を制するものにして、教育はその心を養うものなり。ゆえに政治の働は急劇にして、教育の効は緩慢なり。例えば一国に農業を興さんとし商売を盛ならしめんとし、あるいは海国にして航海の術を勉めしめんとするときは、その政府において自から奨励の法あり。けだし農なり商なり、また航海なり、人生の肉体に属することにして近く実利に接するものなれば、政府はその実際の利害につき、あるいは課税を軽重し保護を左右する等の術を施して、たちまちこれを盛ならしめ、またたちまちこれを衰えしむること、はなはだやすし。
すなわち政治固有の性質にして、その働の急劇なるは事実の要用においてまぬかるべからざるものなり。その細目にいたりては、一年農作の飢饉にあえば、これを救うの術を施し、一時、商況の不景気を見れば、その回復の法をはかり、敵国外患の警を聞けばただちに兵を足し、事、平和に帰すれば、また財政を脩むる等、左顧右視、臨機応変、一日片時も怠慢に附すべからず、一小事件も容易に看過すべからず。政治の働、活溌なりというべし。
また政治の働は右の如く活溌なるがゆえに、利害ともにその痕跡を遺すこと深からず。たとえば政府の議定をもって、一時租税を苛重にして国民の苦しむあるも、その法を除くときはたちまち跡を見ず。今日は鼓腹撃壌とて安堵《あんど》するも、たちまち国難に逢うて財政に窘《くるし》めらるるときは、またたちまち艱難の民たるべし。いわんや、かの戦争の如き、その最中には実に修羅《しゅら》の苦界《くがい》なれども、事、平和に帰すれば禍をまぬかるるのみならず、あるいは禍を転じて福となしたるの例も少なからず。
古来、暴君汚吏の悪政に窘められて人民手足を措《お》くところなしなどと、その時にあたりては物論はなはだ喧しといえども、暴君去り汚吏除くときは、その余殃《よおう》を長く社会にとどめることなし。けだし暴君汚吏の余殃かくの如くなれば、仁君名臣の余徳もまた、かくの如し。桀紂《けっちゅう》を滅して湯武の時に人民安しといえども、湯武の後一、二世を経過すれば、人民は国祖の余徳を蒙らず。和漢の歴史に徴しても比々《ひひ
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