小学教育の事 四
方今《ほうこん》、世の識者が小学校の得失を論じ、その技芸の教授を先にして道徳の教を後にするを憂《うれう》る者なきに非ず。たとえば、天文、地理、究理、化学等は技芸なり。孝悌忠信は道徳なり。究理化学を学び得るも、孝悌忠信の道を知らざれば、世の風俗は次第に悪しくなるべしとて、もっぱら儒者の教を主張して、あるいは小学校の読本に、『論語』、『大学』等の如き経書《けいしょ》を用いんとするの説あり。
この説、はなはだ理あり。人としてただ技芸のみを知り、道の何ものたるを弁《わきま》えずんば、ほとんど禽獣に近し。道徳の教、はなはだ大切なりといえども、余輩の考は少しくこれに異なり。その異なる所は道徳を不用なりというには非ず。小学校に『論語』『大学』の適当せざるをいうなり。今の日本の有様にて、今の小学校はただ、下民《かみん》の子供が字を学び数を知るまでの場所にて、成学の上、ひと通りの筆算帳面のつけようにてもできれば満足すべきものなり。技芸も道徳も未《いま》だ顧《かえりみ》るにいとまあらず。
儒者にかぎらず、洋学者流も、この辺の事情については、はなはだ粗漏《そろう》迂闊《う
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