民社会に不通用のことなりとの説もあれども、ひっきょう、縦の文字を縦に用うることにて、人を驚かすほどの奇に非ず。一二三の字は如何なる下等の民もたいてい知らざるものなし。ただその用法に心を用うるのみにして足るべし。西洋の数字にいたっては、わずかに十字なりといえども、開闢《かいびゃく》以来、人の知らざるものなれば、これを学ぶにも多少の精神を費さざるをえず。すでに字の形を学ぶに精神を費し、またその用法をことにす。これを日本の数字に比し、便不便はいわずして明らかなり。
結局、今の横文帳合はなにほどに流行するも、早晩、いずれのところにか突当りて、上流と下流との関所を生ぜざるをえず。縦の帳合はその入門の路、たとい困難なるも、関所を生ずるの患《うれい》なし。たとえば今、日本大政府の諸省に用うる十露盤も、寒村|僻邑《へきゆう》の小店に用うる十露盤も、乗除の声に異同なきは、上下の勘定法に関所なきものなり。帳合の法もかくありたきことと余輩の願う所なり。あるいはまた前の如く、二五八三と記すを不便なりといえば、平たく二千五百八十三円と記して、西洋帳合の趣意にしたがうべき仕方もあり。その説はこれを他日に譲る。
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