りゅう》に適すべし、官員の仲間に適すべしといえども、人民の社会には適当せざるのみならず、かえってその体裁の怪しきがために、法の実用をも嫌わしむるものというべし。
この官員なり、また学者なり、永遠無窮、人民と交際を絶つの覚悟ならばすなわち可ならんといえども、いやしくも上流の知見を下流に及さんとするには、その入門の路をやすくして、帳合にも日本の縦《たて》の文字を用い、法を西洋にして体裁を日本にせんこと、一大緊要の事なり。たとえば学者先生の家にしても、横の帳合法は、主人に便利にして、細君に不便利ならん。この主人が、家計の事についてはまったく細君をして知らしめず、主人と細君とあたかも他人の如くならんとするの覚悟ならば、すなわち可《か》ならんといえども、夫婦ともに一家の経済を始末せんと思わば、婦人にも分りやすき法を用うるこそ策の得たるものというべけれ。その利害、もとより明白にして、喋々《ちょうちょう》弁論するにも及ばざることなり。
ある人の考に、日本の文字を用うれば、人の姓名を記し事柄を書くには、もとより便利なれども、数字にいたっては、二五八三と記して二千五百八十三と解《げ》すは、これまた人
前へ
次へ
全19ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福沢 諭吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング