これを詭激に導くの助けをなし、目的の齟齬《そご》する、これよりはなはだしきはなし。ひっきょう、社会は活世界《かっせかい》にして、学校に教うる者も活物《いきもの》なれば、学ぶ者もまた活物なり。この活物の運動は、親子の間柄にてもなおかつ自由ならざるものあり。いわんや他人の子を教うるにおいてをや。決して意の如くなるべからざるなり。
 学校の教育は、決して教者の意の如くなるべきものに非ず。すでに不如意なるを知らば、その不如意に処するの法を案ずるこそ緊要なれ。前にいえる如く、少年輩がややもすれば経世の議論を吐き、あるいは流行の政談に奔走して、無益に心身を労し、はなはだしきは国安妨害の弊に陥るが如きは、元《も》とその輩の無勘弁なるがためなり。その無勘弁の原因は何ぞや。真成の経世論を知らざるがためなり。詭激の経世論、もとより厭《いと》うべしといえども、その論者はこれを知るがゆえに論ずるに非ず、知らざるがゆえにこれを論ずるのみ。
 ゆえに我が慶応義塾においては、上等の生徒に哲学・法学あるいは政治・経済の書を禁ぜざるは、これを禁ぜずして、その真成の理を解せしめ、是非判断の識を明らかならしめんがためなり。
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