にして、時日のいよいよ久しきその割合にしたがいて、いよいよ劇烈なるべし。
 たとえば今ここに一種の学校を設けて、まったく経世の学を禁じ、政治・経済の書を禁じ、また歴史をも禁じて、生徒を養うこと数年の後は必ず成業にいたらん。その時において、生徒の所得は理学・徳学にして、純然たる良民たる者ならん。然るに、この良民が家にありて一部の経世書を読むか、または外に出でて一夜の政談演説を聴き、しかもその書、その演説は、すこぶる詭激《きげき》奇抜の民権論にして、人を驚かすに足るものとせん。ここにおいて、かの良民は如何の感をなすべきや。聾盲とみに耳目を開きて声色に逢うが如く、一時は心事を顛覆するや必せり。心事顛覆したり、また判断の明識あるべからず。かくの如きはすなわち、辛苦数年、順良の生徒を養育して、一夜の演説、もってその所得を一掃したるものというべし。
 ただにこれを一掃するのみならず、順良の極度より詭激の極度に移るその有様は、かの仏蘭西北部の人が葡萄酒に酔い、菓子屋の丁稚《でっち》が甘《かん》に耽《ふけ》るが如く、底止《ていし》するところを知らざるにいたるべし。人を順良にせんとするの方便は、たまたま
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