政治経済等の書を見ることなからしめんか。少年は終身の少年に非ず、三、五年をすぐれば屈強の大人たるをいかんせん。政治経済は有用の学なり、大人にしてこれを知らざるは不都合ならん。今一歩を譲り、人生は徳義を第一として、これに兼ぬるに物理の知識をもってすれば、もって社会の良民たるに恥じず。経世の学は必ずしもこれを学問として学ばざるも、おのずから社会の実際にあたりてこれを得ること容易なり。
 たとえば今の日本政府にていえば、大蔵の官吏、必ずしも経済学を執行《しゅぎょう》したる者に非ず、文部の官吏、必ずしも教育論を研究したるに非ざるも、その実際に事のあがるは今日の如し。ひっきょう、経世は活学にして、当局者が局にあたりて後の練磨なり、決して学校より生ずるものに非ずとして安心せんと欲するも、ここに安心すべからざるものあり。すなわち人生奇異を好むの性情にして、たとい少年を徳学に養い理学に育して、あたかもこれを筐中《きょうちゅう》に秘蔵するが如くせんとするも、天下、人を蔵《おさむ》るの筐《はこ》なし、一旦の機に逢うてたちまち破裂すべきをいかんせん。而《しこう》してその破裂の勢は、これを蔵むるのいよいよ堅固
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