《いなかもの》に多し。しかも田舎にて昔なれば藩士の律儀《りちぎ》なる者か、今なれば豪家の秘蔵息子にして、生来浮世の空気に触るること少なき者に限るが如し。これらの例をかぞうれば枚挙にいとまあらず。あまねく人の知るところにして、いずれも皆人生奇異を好みて明識を失うの事実を証するに足るべし。
ゆえに、子女の養育に注意する人は、そのようやく長ずるにしたがって次第に世間の人事にあたらしむるの要用なるを知り、あるいは飲酒といい演劇といい、謹慎着実なる父母の目には面白からぬ事ながら、とうていこれを禁ずべきに非ざれば、この好むところに任して、酒をも飲ましめ、演劇の見物をも許して、ただこれを節するの緊要なるを知らしむるのみ。ある西人《せいじん》の説に、子女ようやく長じたらば、酒を飲むも演劇を見物するも、初はまず父母とともにして、次第に独歩の自由を許すべしという者あり。この説、はなはだあたるが如し。
右に述ぶる事実、はたして違《たが》うことなくば、ある人の憂慮する少年書生の無勘弁なる者を導きて、これに勘弁の力を附与し、その判断の識を明らかならしむるの法、いかんして可ならん。身を終るまでこれを束縛して、
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