の性質を知らんとするには、まずその物を見ること緊要なり。熱国の人民は氷を見たることなし。ゆえにその性質を知らず。これを知らざるがゆえに、その働の有害なるか無害なるかを知らざるなり。また、人の天然において奇異を好むは、その性なり。山国の人は海を見て悦《よろこ》び、海辺の人は山を見て楽しむ。生来、その耳目に慣れずして奇異なればなり。而《しこう》してそのこれを悦び、これを楽しむの情は、その慣れざるのはなはだしきにしたがってますます切《せつ》にして、往々判断の明識を失う者多し。仏蘭西の南部は葡萄の名所にして酒に富む。而してその本部の人民にははなはだしき酒客を見ざれども、酒に乏しき北部の人が、南部に遊び、またこれに移住するときは、葡萄の美酒に惑溺して自からこれを禁ずるを知らず、ついにその財産生命をもあわせて失う者ありという。
また日本にては、貧家の子が菓子屋に奉公したる初には、甘《かん》をなめて自から禁ずるを知らず、ただこれを随意に任してその飽くを待つの外に術《すべ》なしという。また東京にて花柳に戯れ遊冶《ゆうや》にふけり、放蕩無頼の極に達する者は、古来東京に生れたる者に少なくして、必ず田舎漢
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