に政談流行して、物論はなはだ喧《かしま》しき時節なるにおいてをや。人の子を教うるの学塾にして、かえって、これを傷《そこな》うの憂いなきを期すべからず、云々と。
 我が輩、この忠告の言を案ずるに、ある人の所見において、つまり政治経済学の有用なるは明らかなれども、これを学びて世を害すると否とは、その人に存す。弱冠《じゃっかん》の書生は、多くは無勘弁にして、その人に非ずということならん。この言、まことに是《ぜ》なり。
 事物につき是非判断の勘弁なくして、これを取扱うときは、必ず益なくして害をいたすべきや明らかなり。馬を撰ばずして、みだりに乗れば落つることあり。食物を撰ばずしてみだりに食《くら》えば毒にあたることあり。判断の明《めい》、まことに大切なることなれども、ただこれを大切なりというのみにては、未だもって議論のつきたるものに非ず。ゆえに今この問題に付ては、人にしてこの明識を有すると有せざるとの原因はいかん、これを養うの方法はいかにして可ならんとて、その原因を尋ね、その方法を求めて、はじめて議論の局を結ぶべきなり。
 およそ物の有害無害を知らんとするには、まずその性質を知ること緊要なり。そ
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