中に盛ならしむるを勉むるのみ。
 かくの如くして多年の成跡を見るに、幾百の生徒中、時にあるいは不行状の者なきに非ずといえども、他の公私諸学校の生徒に比して、我が慶応義塾の生徒は徳義の薄き者に非ず、否《い》なその品行の方正謹直にして、世事に政談にもっとも着実の名を博し、塾中、つねに静謐《せいひつ》なるは、あるいは他に比類を見ること稀《まれ》なるべし。
 明治十九の歳華《さいか》すでに改まりて、慶応義塾の教育法は大いに改まるに非ずといえども、一陽来復とともにこの旧教育法に新鮮の生気をあたうるはまたおのずから要用なるべし。その生気とは何ぞや。本塾の実学をしてますます実ならしめ、細大|洩《も》らさず、すべて実際の知見を奨励し、満塾の学生をして即身《そくしん》実業の人とならしめ、かの養蚕の卵より卵を生ずるに等しく、本塾に卒業したる者がただわずかに学校の教師となるか、または役人となりて、孤児・寡婦の生計を学ぶなどいう無気無腸のそしりを免かれ、独立男子の名にはずることなからしむるの工風なり。
 従来、本塾出身の学士が、善く人事に処して迂闊《うかつ》ならずとのことは、つねに世に称せらるるところなれども
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