と、両様ともにはなはだしきにすぎ、高尚至極なる学問の型の中に無理に凡俗を包羅《ほうら》して、新奇の形を鋳冶《ちゅうや》せんとして、かえってその凡俗を容るることはできずして、大切なる教育を孤立せしめ、自から偏窟に陥りたるものといわざるをえず。自今以後とても、教育家がこの辺に心付かずして、ただ教育法の高尚なるを求め、国民の智徳の高さと文明の学理の高さと、ほぼ相《あい》当《あた》らしむべきの要を知らずして、今のままの方向に進みたらんには、国中ますます教師を生ずるのみにして、実業につく者なく、はじめにいえる如く、蚕を養うて蚕卵を生じ、その卵を孵化してまた卵を生じ、ついに養蚕の目的たる糸を見ざるに等しきの奇観を呈することあるべし。
 我が慶応義塾の教育法は、学生諸氏もすでに知る如く、創立のその時より実学を勉め、西洋文明の学問を主として、その真理原則を重んずることはなはだしく、この点においては一毫《いちごう》の猶予《ゆうよ》を仮《か》さず、無理無則、これ我が敵なりとて、あたかも天下の公衆を相手に取りて憚《はばか》るところなく、古学主義の生存するところを許さざるほどに戦う者なりといえども、また一方よ
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