弘化の諸公、これが次階《じかい》をなせり。然らばすなわち吾が党、今日の盛際《せいさい》に遇うも、古人の賜《たまもの》に非ざるをえんや。
 そもそも洋学のもって洋学たるところや、天然に胚胎《はいたい》し、物理を格致《かくち》し、人道を訓誨《くんかい》し、身世《しんせい》を営求《えいきゅう》するの業にして、真実無妄、細大備具せざるは無く、人として学ばざるべからざるの要務なれば、これを天真の学というて可ならんか。吾が党、この学に従事する、ここに年ありといえども、わずかに一斑をうかがうのみにて、百科|浩澣《こうかん》、つねに望洋《ぼうよう》の嘆《たん》を免れず。実に一大事業と称すべし。
 然れども難きを見てなさざるは丈夫の志にあらず、益《えき》あるを知りて興《おこ》さざるは報国の義なきに似たり。けだしこの学を世におしひろめんには、学校の規律を彼に取り、生徒を教道するを先務とす。よって吾が党の士、相ともに謀《はか》りて、私にかの共立学校の制にならい、一小区の学舎を設け、これを創立の年号に取りてかりに慶応義塾と名づく。
 ことし四月某日、土木、功を竣《おさ》め、新たに舎の規律勧戒を立てり。こいねが
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